問題集

ブログ


※歴史用語は詳細を確認できるようにウィキペディアにリンクしております。

[前の時代へ(鎌倉)] [次の時代へ(安土桃山)]

室町時代 - [1336年 ~ 1573年]

後醍醐天皇により建武の新政がはじまる。
その次に足利尊氏征夷大将軍になり室町幕府を開く。
南北朝時代は3代目将軍足利義満により北朝の勝利となる。
足利義満は謀略によって有力勢力を衰えさせ幕府の安定をはかる。その後、鎌倉公方関東管領の争いで関東地方が幾度となく戦乱になる。
徳政令などを求めて土一揆が多発する。政権に関しては6代目将軍が暗殺されて権力が衰えた。8代目将軍では側近が追放される。その後、応仁の乱が起こり将軍の権力は完全に失墜した。
時は戦国時代になり近畿・東海地方(織田信長徳川家康今川義元斉藤道三三好長慶浅井長政)、北陸地方・中央高地(上杉謙信武田信玄朝倉義景)、関東地方(北条氏康)、東北地方(伊達晴宗)、四国地方(長宗我部元親)、中国地方(毛利元就尼子晴久)、九州地方(龍造寺隆信大友宗麟島津貴久)などの戦国大名が各地で台頭して下克上の世となる。
そして、中部・近畿地方をほぼ手中に治めた織田信長は15代目将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府が滅ぶ。
室町時代の文化は金閣寺銀閣寺(書院造)、観阿弥世阿弥による能楽(+狂言)、太平記(軍記物語)、御伽草子(浦島太郎一寸法師など)、雪舟(水墨画)、連歌茶道華道幽玄わび・さびなどを室町文化という。
貿易に関しては勘合貿易南蛮人(ポルトガル・スペイン)南蛮貿易を開始する。
密貿易や襲撃などの犯罪を行っていた倭寇も最盛期を迎える。
室町幕府の重要な役職として将軍を補佐する管領があり細川氏斯波氏畠山氏三管領という。一方、軍事・警備を司る侍所の長官は赤松氏一色氏山名氏京極氏四職という。関東・東北方面は鎌倉府による鎌倉公方関東管領。九州地方には九州探題を置く。

建武の新政 1333–1336

南朝(大覚寺統)
初代:後醍醐天皇、奈良の吉野、新田義貞楠正成北畠顕家
北朝(持明院統)
初代:光厳天皇、京都、足利尊氏足利直義高師直
1333
記録所恩賞方雑訴決断所、武者所を設置する
1334
後醍醐天皇による親政延喜・天暦の治(えんぎ・てんりゃくのち)を理想とする。武士よりも貴族寺社を重んじた為、武士の不満が高まる。
1334-08
二条河原の落書(新政府の混乱状態をかいたもの)
1335-07
北条時行の反乱で幕府の再興を果たしたが、足利尊氏によって20日間で滅びた。
1335-1336
延元の乱(足利尊氏後醍醐天皇の政権に対して挙兵)
1335-12
1336-01
足利尊氏は入京する。後醍醐天皇は比叡山へ
1336-02
1336-03
多々良浜の戦い(足利尊氏菊池武敏を破り九州を固める)
1336-05
足利尊氏足利直義新田義貞楠木正成の戦いで、足利尊氏が勝利する
1336-06
足利尊氏が入京する
1336-08
光明天皇が即位する(北朝)
1336-11
足利尊氏建武式目を定める
1336-12
後醍醐天皇は吉野へ逃れる(南朝)

南北朝時代 1336–1392

1338-05
1338-07
藤島の戦い
南朝新田義貞北朝斯波高経の戦い。北朝の勝利。
1338-08
足利尊氏征夷大将軍になり京都に室町幕府を開く
1342
天龍寺造営費の獲得の為、天龍寺船元(モンゴル)に渡航(貿易)
1348
南朝楠木正行北朝高師直の戦い。北朝の勝利。
1349
関東の統治機関である鎌倉府が出来る。鎌倉府の初代長官(鎌倉公方)は足利基氏(あしかがもとうじ)。補佐役として関東管領(主に上杉氏一族の世襲)が置かれる。
1350-1352
足利政権の内乱(足利直義高師直が死去)
1352
戦乱の為、守護年貢の半分を徴発可能になる。これにより守護の支配力が強くなり守護大名と発展する。
1358
足利尊氏が死去
1359
1359-08
南朝懐良親王北朝少弐頼尚(しょうによりなお)の戦い。南朝の勝利。九州地方は南朝が支配するようになる。
1368
足利義満が3代目将軍となる
1370年頃
軍記物語太平記」ができる
1370-1390
倭寇(わこう - 日本の海賊)中国朝鮮などの東アジア広域で襲撃(倭寇の最盛期)
1378
1379
斯波氏細川頼之を失脚させる
1389-1390
足利義満土岐氏を陥れる謀略で土岐康行が敗死する。土岐氏守護領国は3国から1国になる。
1391
足利義満山名氏を陥れる謀略で山名氏清山名満幸を滅ぼす。山名氏守護領国は11国から3国に激減する。
1392
明徳の和約(南北朝の合一)
南朝後亀山天皇北朝後小松天皇三種の神器(八咫鏡八尺瓊勾玉天叢雲剣)を譲って退位する。これにより南北朝が合一した。

1393–1467

1394
1397
1399
応永の乱
足利義満大内氏を陥れる謀略で大内義弘を滅ぼす。大内氏守護領国は6国から2国になる。その後、大内盛見によって4国にまで拡大した。
1400
大塔合戦(おおとうがっせん) - 信濃の支配権を巡る争い。
1401
明(中国)と国交の開始。明からの国書では足利義満が日本国王
1404
との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。
1416
1419
応永の外寇 - 李氏朝鮮による対馬侵攻。日本の勝利
1428
正長の土一揆 - 農民による初の一揆(いっき)私徳政が実施
1429
播磨の土一揆 - 政治要求をした一揆。鎮圧された
くじ引きで足利義教(あしかがよしのり)が6代目将軍となる。足利義教の政治は万人恐怖と言われる。
1432
上杉憲実足利学校を再興する
1435
足利義教比叡山を焼き討ちにする
1438
1440
結城氏朝足利持氏の遺児を擁して挙兵。幕府側の勝利。
1441
嘉吉の土一揆 - 京都周辺の一揆で幕府徳政令を実施
1443
足利義政が8代目将軍となる(正室日野富子)
1455-1483
鎌倉公方足利成氏関東管領上杉憲忠を暗殺した事からはじまった関東地方の争い。
1457
1466
足利義政の側近(伊勢貞親季瓊真蘂(きけいしんずい))が追放される。その結果、将軍による政治の権力が衰え応仁の乱へと続く。
1467-1477
管領細川勝元侍所所司山名宗全の対立から将軍後継者争いなども絡み約10年の間、争い続けた。その結果、幕府の権力は失墜して戦国時代へとなる。

戦国時代 1467–1590

1485
山城(京都付近)で国人・農民が一揆を起こして8年間自治を行った。
1487-1505
山内上杉家上杉顕定(うえすぎあきさだ)扇谷上杉家上杉定正との関東地方での争い。戦乱の影響で北条早雲が伊豆・相模(神奈川付近)を支配するようになる。
1487-1491
近江(滋賀県付近)守護六角氏討伐。幕府の敗北。
1488
加賀(石川県付近)で発生した一向一揆守護富樫政親を追い払い約100年の間、自治を行うようになる。
1489
足利義政銀閣寺を建立
1493
管領細川政元が10代目将軍足利義材(あしかがよしき)を廃して、足利義澄を11代目将軍とする。
1507
1508
細川高国管領となり足利義材(義稙)を再び、将軍とする
1510
李氏朝鮮三浦(釜山浦・薺浦・塩浦)で起きた対馬の宗氏・恒居倭人(こうきょわじん - 貿易の為に朝鮮に居留している日本人)の反乱。
1511
1521
1523
大内氏細川氏による勘合貿易の争い。この頃より密貿易などを目的とした後期倭寇が盛んになる。
1531
1532
細川晴元が家臣の三好元長を殺害する
1532-1535
本願寺10世証如(しょうにょ)の後見人である蓮淳(れんじゅん)の権力争い。
1534
織田信長が誕生する
敦盛(幸若舞)「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
1536
1541
武田信玄が父である武田信虎を追放する
1542
斎藤道三(さいとうどうさん)が美濃(岐阜県付近)を支配する
1543
ポルトガル人が種子島で鉄砲を伝える
1546
1549
織田信長斉藤道三の娘である濃姫と婚姻する
1550年頃
1551
大内義隆の家臣である陶晴賢が主君を殺害する
1553-1564
川中島の戦い - 上杉謙信武田信玄の戦い。全5回。決着つかず
1554
1555
毛利元就(兵力5千)陶晴賢(すえはるかた - 兵力3万)の戦い。毛利元就の謀略で勝利。この後、毛利元就はほぼ中国地方を支配に治めるようになる。
1558年頃
管領細川晴元の家臣であった三好長慶が父の恨みを晴らす為か主君を裏切り細川氏領国(近畿地方の中央部及び四国の東側)を支配するようになる。
広大な勢力範囲であったが、三好長慶一門十河一存(そごうかずまさ)三好義賢三好義興が死去すると共に勢力が弱まった。三好長慶が1564年になくなると三好義継が後継者となり三好三人衆松永久秀が実権を握った。
1559
織田信長が尾張(岐阜県付近)を統一する
1560
織田信長(兵力5千)今川義元(兵力2万5千)の戦い。織田信長は奇襲で今川義元を討ち取る。戦乱の影響で徳川家康今川氏から独立して三河(愛知県付近)を支配する。
1561
1562
1565
1565-1566
中濃攻略戦 - 織田信長が美濃の一部を攻略
1567
織田信長が美濃を支配する。井ノ口を岐阜に改名する。この頃から天下布武の印を使用するようになる
織田信長浅井長政同盟を結ぶ(織田信長の妹であるお市浅井長政に嫁ぐ)
1568-02
1568-09
1568-10
足利義昭の上洛で織田信長は畿内を平定する。足利義昭は15代目将軍となる
1569
織田信長が伊勢(三重県付近)を支配する
1569-1582年頃
足利義昭織田信長と対立して幾度となく信長包囲網を形成するが全て失敗に終わる
1570-04
織田信長徳川家康連合軍と朝倉義景の戦い。浅井長政の裏切りにより織田信長が撤退。
1570-06
織田信長徳川家康連合軍と浅井長政朝倉義景連合軍の戦い。織田信長の勝利。
1570-1574
1570-1580
石山合戦 - 本願寺織田信長の戦い。講和
1571
織田信長浅井氏朝倉氏を援護する比叡山延暦寺を焼き討ちする
1572
1572-12
武田信玄徳川家康織田信長連合軍との戦い。徳川家康の惨敗。
1573-04
武田信玄が病死する。武田勝頼家督を継ぐ。
1573-07
足利義昭が京都から追放されて室町幕府が崩壊する
1573-08

スポンサーリンク